皆さまお疲れさまです
整体師と霊感について【哲学的考察】
と題しましたが…私達に何か特徴ってあるでしょうか?
運動が好きというか苦じゃない。それは、この仕事を選んだ時点である程度言えることでしょう。あるいは、仕事として考えた時に、デスクワークよりは、ボディーワークを好んだということでしょう。
あとは、何かありますか?
よく氣や霊感が強い、スピリチュアル的な感性を持つ方が多いと言います。ボディーワークの業界に多いという、理屈はわかりませんが、確かにそう思います。
皆さまの中にも、霊感みたいな感性が鋭い方も少なくないのではないでしょうか。
私は霊感はありません。
ただ、氣功の本も結構読んでいますので、その時は、やはり感動して、氣功の教室に参加したり、自分でも練習したものです。
しかし、きっと、才能がないのです。
いつか余裕ができたら、取り組んでみたいと思っております。
霊っていると思いますか?
そう聞かれることもあります。霊感がない人からしたら、霊感がある人がどこかうさん臭く見えたりもするのでしょう。
私自身、霊感がないので見えない人達の気持ちはよくわかるのです。
いても得がないというか、何より怖いじゃないですか。ティンカーベルなら別として。
しかし、この問題には自分なりの答えがあります。
霊はいるのです。
なぜなら、見える人がいるからです。
理論的にそうなります。
どういうことか説明すると長くなりそうなので。
今回は、極簡単に説明させていただきます。
10人の人がいます。
10人の人は、食べたら排泄します。10個の事実です。
10人の人がいます。
4人が松潤が好きで、6人が二の宮が好きです。10個の事実です。
6個の事実ではありません。
10人の人がいます。
5人が猫が好きで、4人が犬が好きで、1人は犬猫が苦手です。10個の事実です。
5個の事実ではありません。
10人の人がいます。
9人が霊が見えず、1人に霊が見えます。10個の事実です。
9個の事実ではありません。
私達は、大多数の人が一致すること(例えば恋したいこと)を持って、それを世界だと捉えがちです。
しかし、この地球の捉え方には、万人に一致する事と。人により、わかれる事があります。
ましてや、地球上の生き物は人間だけでありません。
どこを持って事実とするのか。
万人の一致点でしょうか。だとしたら、事実は、生きて死ぬこと。位しかなくなってしまいます。
動物、植物まで含めたら、もう一致点すらよくわかりません。
事実とは、人の数だけ存するのではないでしょうか。
その人が捉えた事実は、その人の事実であり、それは否定しようがない。
と思います。
世の中、できるだけ人と同じ事実を共有できる人の方が、生きやすいでしょう。
多くの事は、事実ではなく、事実の共有なのではないでしょうか。
と、言うことで、霊はいるかと聞かれたら、いると答えるのです。
哲学的な話かもしれず、恐縮ですが、あくまで一つの考え方として、皆さまのお役に立てれば幸いです。
それでは、本日もお疲れさまでした。
見てくださり本当にありがとうございます。